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ギターマダガスカル

COMMENT

インドネシア、インド洋、アラビアの海、そしてアフリカの風をたっぷり含んだ
マダガスカルの音楽が、不味いわけがないだろう。

── 久保田麻琴(ミュージシャン/プロデューサー)

www.kubotamakoto.com

マダガスカルのギター奏者のCDは何枚か持っていたが、その背景にこんな世界が広がっていたことを初めて知った。鑑賞後は、まるで自分もマダガスカルの長い旅をしてきたような気分。亀井監督ありがとう、よくやってくれました。
それにしても、ヴァイオリンを引きながら猿のような声で歌うおじさんが凄過ぎて、気になって仕方がない。

── チチ松村(ミュージシャン、文筆家)

GONTITIオフィシャル

マダガスカルが南米に有ると思っていた私は、この映画を見なかったらこんな豊かで不思議な音楽に出会うこともなかっただろう。
彼の国の人たちは、とても自然に弦楽器やその他の楽器と戯れているような印象で、演奏や歌は日常のそこかしこに転がっていて、なんか全員がミュージシャンみたいに思える。
ギターって言う楽器は自分も演奏するが、さてそれを作れるかというと、滅相も無いみたいな、それは「特殊な技術が必要」とか思ってしまうのだが、マダガスカルの人々は軽々とそういう先入観の壁を越えてしまって、ユニークな弦楽器を作っては弾きこなしている。私的にはとても羨ましい光景が次から次へあらわれるので、全然飽きないでラストまで見てしまう。
とにかくこの映画は音楽の本来持っている自由さを、改めて思い出させてくれる。

── 山本精一(音楽家・文筆家・画家)

かねてからマダガスカルのギターには惹かれていましたが、
こんなリアリティに触れられることに感謝感激。
理屈じゃない秘密のある地に生きる地球人、可能性は未知数です。

── UA(歌手)

名を上げるために弾き、暇つぶしのために弾き、先祖と対話するために弾く。
ケースは不要。裸で持ち歩け。 大工が作るギターは鹿児島のゴッタンのようでした。

── サカキマンゴー(親指ピアニスト/ゴッタニスト)

sakakimango.com

どこでどんな暮らしをしていようとも、ぼくらの中心には、
マダガスカルの人々とおなじスピリットがひそんでいるんだ。

── 青柳拓次(音楽家)

Takuji

アフリカといっても本土とは明らかに異なった文化を持つマダガスカル、
やはり島国の雰囲気が濃厚です。
普通のギターの他に、世にも不思議な手作りの楽器が次々と登場しますが、
ギターを弾く人のクールな姿は世界共通です。

── ピーター・バラカン(ブロードキャスター)

公式BLOG

漁をする船の上で、魚が捕れない、俺たちどうしよう、というような歌を
手作りのギターを弾きながら明るく歌うオープニングからグイッと引き込まれた。
皮が破れた太鼓を修理するために、一昼夜、おんぼろバスに乗って行ったり、
死とは先祖になることで、先祖と交わる儀式のような場で音楽を奏でるうちに
トランス状態になったりするシーンに、音楽本来の存在理由を感じた。
ワールド・ミュージックとしてCDで観賞したり、WOMADのようなフェスティヴァルで
ライヴを観たりしても、到底理解できないディープな音楽の現場が捉えられていた。
優れた音楽は、治安が悪い街や、辺境の地で、独自の発展をとげたものが多いと思うが、
この映画で捉えられたマダガスカルは後者の代表格。
ものすごく大きな島だから、このような文化が息づく余地があったのだろう。

── 石田昌隆(フォトグラファー)

@masataka_ishida

マダガスカルの自然と人々の生活と音楽が一体化した世界が何とも言えないゆかしさを覚えました。
単に、私たち人間は、このように自然を生き、他人との関係を大切なものとすることを
村思想や伝統と呼んで慣習になじんでいたことを思い起こさせられました。
そう言う意味でゆっくりと楽しむマダガスカルの人々の生き様になじんだ気にさせられました。
それがこの映画の最大の魅力です。

── 足立正生(映画監督)

図々しく斬り込んでいくドキュメンタリー映画や、
バカ丁寧に作り込む劇映画には到底辿り着けない
亀井岳監督の繊細で独自なまなざしは、前作に引き続き今回も健在でした。
人間と音楽と風景が絡み合いながら漂う不思議な感覚は
是非スクリーンで観て感じて欲しいです。

── 山下敦弘(映画監督)

自分以外にも、こんなムチャな映画を作る馬鹿がいたとは!
『ギター・マダガスカル』は、地平線のかなたに広がるロマンを、弦の調べで謳い上げた傑作だ

── 高橋慎一(映画『Cu-Bop』監督)

Cu-Bop

潰れてすっかりもう使い物にならない、と
勝手に思い込んでしまっていた私自身のもう一つあった命を、
この映画『ギターマダガスカル』のおかげで私は再認できた。
凄いねマダガスカル。奥深い。命の復元はまだだけど。
ギターやっぱ、いいわ。

── 山崎春美(作家)

@GASENETACO

多彩なオープン・チューニングを駆使する超絶ギター奏者デ・ガリ。
彼の音楽のルーツが目に飛び込む。
木の箱とネックに弦を張ったカボシを小刻みに弾き繊細に響かせた合奏。
2003年<東京の夏>音楽祭で出会ったバラの儀礼音楽。
同じコメを主食とするマダガスカル音楽の秘密と多様性を、映画「ギターマダガスカル」で体験。

── 飯田一夫(音楽プロデューサー)

キレッキレのポリリズムに「これが音楽だぜぃ!あったりめーだろっ」と笑顔で突きつけられたような衝撃! 祖先を敬い、伝統を重んじるコミュニティの中で、子供たちから愛され、女性たちが一緒に歌い踊る共有の音楽・芸能がある、ということの、かけがえのない大いなる豊かさ。

── 慶野由利子(作曲家)

マダガスカルというと自然や動物ばかり注目が集まるが、アフリカン・ギターの中でも、とびきりユニークなマダガスカルのギターにスポットを当てるとは、なんて嬉しい映画だろう。伝統楽器ヴァリハのフレーズをギターに移し変えたギター・スタイルは、デ・ガリやテタなどのCDで親しんできたが、彼らの音楽がどのような営みの中で奏でられているのかは、これまで知る機会がなかった。
娯楽以外にも、祝いや弔いなど人生の様々な節目の場で演奏するギタリストたちを追ったこの映画は、マダガスカルの豊かな文化をぼくたちに教えてくれる。

── 荻原和也(音楽評論家)

So-netブログ

あれはギターの形をしたライトセーバーだったのかな? 幾人ものヒーローが出てくるこの映画、冒頭の演奏シーンから見たこともない形のギターに魅了され、見終わったあとにはSF映画を見たあとのような気持ちにーー「ギターマダカスガル」を音楽好きだけではなく、どこか別の処に行きたいすべての人にお勧めします。

── 荏開津広(オールピスト京都/DJ/京都精華大学非常勤講師)

horspistestokyo.com

ラブソングあり、労働歌あり、死者との対話やお葬式では
あの世とこの世もギターと歌がつなぐ。
不思議な精神世界をギターが支える。
カッティングのグルーヴと手作りギターの驚きの造形!

── 翁長巳酉(音楽家・映像作家)

視聴後に、物語をみたというよりも、音楽を聴いたような印象が残る不思議な作品。
このような作品をみると、音楽紹介のためにはこれ以外の方法がない、とさえ思えてしまう。
映画というジャンルに属さない、個性的なアートである。

── 等々力政彦(トゥバ民族音楽演奏家)

神々と対話する、死者たちと対話し共に生き続けて行く・・・
その触媒としての儀礼であり方法であり、音(音楽)と言葉、リズムと身体。付随して行くなら煙と酒のように、その入り口に常に生きて行こうとする音楽家たちの普遍性を残しているようだ。
音楽分野というより、近代文明が喪失し続けて来た音楽と精神性の共存の映画と位置づけたい。

── 粟国久直(美術作家)

空と海の突き抜ける青に耳を傾け、大地の通奏低音に目を凝らす。
体の内側から湧き上がるリズムの反復に身をまかせ、このままいつまでも踊り続けよう。

── 川瀬慈(映像人類学者)

この映画を観れば、我々の生きる社会には音楽が溢れているかのように見えるけど、
豊かさの裏に根源的な音楽精神が失われている事に改めて気がつく。
マダガスカルにおいて「Guitar/ギター」の存在は人々の生活と密接であり、豊かである。

── 笹久保伸(ギタリスト/作曲家)

Shin Sasakubo Web Site

死者に耳を傾け、語らい、伝えて、共有する。その行為を喜びのうちに 行うとき、音楽はいやおうなしにグルーヴィーになるのだなとつくづく思う。
マダガスカル名物タクシーブルース(乗り合いバス)の旅は過酷と聞くけれど、 この映画で、土ぼこりをあげてデコボコ道を行く、こぼれんばかりに人を乗せた その荷台が大合唱になるシーンは実に愉快。あれに揺られてテタの故郷を訪ね、 “ツァピキ” のトガったリズムに思う存分身をゆだねてみたいな。

── 森本英人(SOUL BONANZA)

@Soul Bonanza

アフリカとアジアが交錯する、不思議な島国のギター・ヒーローたち。
独創的な“南洋のブルース”の背景にあるカルチャーや
人々の生活までもリアルに伝えてくれる、素晴らしき音楽映画。
この世界的にも貴重な作品が”場末”を愛する大阪在住の監督によって撮られたことも誇らしいです。

── 吉本秀純(音楽ライター)

@hidesumix

数年前、この映画に登場するデ・ガリの来日公演を生で見ることができたのは、 それはそれで素晴らしい体験だったが、彼の魔法のようなギター音楽がこのような 環境、文化背景から滲み出てきたモノだった、ということはその時は知る由もなかった。
映画に映し出される、死者と対話するためのスピリチュアルな儀式。 そこに寄り添う音楽は我々にとって必ずしも神聖な響きではなく、驚くくらい陽気で楽しげなものだ。そこには権力によって厳格に管理された伝統儀式のような 仰々しさは皆無で、それが逆にリアリティーを勝ち得ているように見える。 監督は日本と同じ遠い島国の島国独特の、 商業的な介入のない素朴な唄や踊りの持つ尊い魅力を、肩の力の抜けた 驚く程に優しい視点で捉えている。いやはや何とも貴重なロードムービーである!

── アクセル長尾(赤い疑惑)

赤い疑惑Web

四角い箱にざっくりと差し込まれたネック、そこに並ぶ不揃いのフレット。
作者の秘めたこだわりが光る雰囲気あるギター。
その見た目に、土地の美を感じ、その音色に、土地の色彩を感じ、
そのメロディに、土地の歴史を感じ、その唄に、土地の生活を感じる。
その時、彼らの横を通り抜けた風は、その音楽と共にスクリーンまで伝わって来る。

── アラカリ大輔(自給楽器ミュージシャン)

アラカリのこんなの出ました

マダガスカル人の生活は、文字通り音楽に溢れているが、マダガスカル語に
「歌や踊り」と言う単語はあるものの「音楽」と言うことばが無い。

その一方、vakodrazanaと言う複合語がある。
Vakoka、もともとは「銀の鎖」を意味し、そこから「相続財」を指す。
Razanaは「祖先」を意味し、
vakodrazana=「祖先から受け継がれた財産」が直訳である。

何が「祖先から受け継がれた財産」なのか? 答えは、歌と踊りである。
では、なぜ歌と踊りがマダガスカル人にとって
「祖先から受け継がれた財産」なのか?
その答えは、この映画『ギターマダガスカル』の中で見つかるはずである。

── 深澤秀夫(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授)

深澤秀夫 マダガスカル研究のページ

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